こんにちは。
『不登校というピンチをチャンスに変える』不登校アドバイザーの早野です。
先週、N高校の説明会に生徒さんと参加して来ました。すごい面白い希望の持てる説明会でしたね。
僕も高校にまた行こうかと思ったくらいです。笑(私は大検は取っているもの高校を卒業はしていないのでまた行けるのかも)
お子さんが説明会に行きたがらないという場合も多くあると思いますが、N高やクラークなどの高校の説明会はお母さんが行くだけでも希望が持てると思いますよ。
不登校の反対語て何?
何やら禅問答みたいですね。
何か問題の本質について考えるときに、反対の言葉は何だろうと考えてみるとよいらしいです。
では、さっそく考えてみましょう。
明確な正解があるわけではありませんが。
「ありがとう」の反対語は「当たり前」。
なるほど。たしかにそうですね。はっとさせられます。
「成功」の反対語は「何もしない」。
成功と失敗は紙一重かもしれませんが、たしかに何もしないと成功は対極にありますね。
「愛」の反対語は「無関心」。
愛と憎しみは裏表かもしれませんが、考えてみると愛と無関心はまるで別物ですね。
では、不登校の反対語は何でしょうか??
明確な正解があるわけではないので、考えてみてください。
あなたなら良い答えが見つかるはずです。
あくまでこれは私の答えですよ。
不登校の反対は学校に行くことではありません。
文部科学省の不登校の定義は「ある特殊な事情を除いて学校を年に30日以上欠席する児童」です。
文部科学省は国の機関ですので、客観性が求められます。
税金を使っているので誰からも文句が出ないようにしないといけません。
しかし、ここには客観性はあるけれども何か大事なものが抜け落ちている気がしませんか??
そうです。子供の「しあわせ」です。
そして、あなたを含めた「家族のしあわせ」です。
学校に行くのは手段にすぎません。エジソンは学校に行っていません。
石原慎太郎氏も学校に行っていない期間がかなりあったようですよ。。。
不登校という言葉は学校に行くことが前提になっています。
まるで「学校が主で子供が従」。
学校に行くことが目的になってしまってはあきませんな。。
なので、不登校の反対語は「家族がしあわせで、手段として楽しく学校に行っている」という状態です。
そうすると幸せで充実した生活を過ごしている場合は学校に行っていなくても不登校では無いと私は思いますね。
たまには反対の概念を考えてみると本質にたどり着けるかもしれませんよ。
そうすると悩みが悩みではない、問題が問題ではない、という状態もあると思いますね。(こちらのブログを読んでいただいている方の一部には。実際、電話相談だとそのようなことがあります 笑)
では、また!!
最後までお読みいただき有難う御座いました!!
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