こんにちは。早野です。今日は前回の続きです。
下記からになります。
恐怖心から登校を継続
そんな私ですが、前述したとおり、たった一度の欠席を除き中学は皆勤でした。
行き続けた理由はいくつかありますが、一番大きいのは 一度さぼってしまったら一生行かなくなってしまうかもしれない という恐怖が自分の中にあったことです。
なぜそんな恐怖を持っていたのか当時は全く分かっていませんでしたが、それでも常にその恐怖は付きまとい、結果として休みなく中学校に通い続けました。もちろん、遅刻もただの一度もしたことはありませんでした。
また、中学生の頃は今よりも不登校の話題も上りづらく、不登校になるという選択肢が生まれにくかったことも一つの原因だと思っています。中学校三年生に上がるころ友人が一人不登校になりましたが(その子は高校生で復帰してきました)、それまで不登校になった友人は誰一人としていませんでした。
もう一つ、体が強かったため、小学生のころから体調不良での休みと縁がなく、皆勤賞を意地でもとってやると思っていまいした。結局一度だけ風邪で欠席したため皆勤賞は取れなかったのですが、この意地が、私が学校に行く原動力の一つになっていたことは間違いありません。このことは、その後の活力になったと今では思います。頑張ってよかったとも。
アメリカで価値観が変わる
長々とお話しさせていただきましたが、今ではこの頃のように悩むことは少なくなりました。考え方の変化と、行動の変化。その両方がうまく重なって悪循環から抜け出せたのでしょう。
すこし、その変化のきっかけについて、お話しさせていただきます。
結論から言うと、これらに変化が起きたことの大きなきっかけは、高校一年生の時に行かせてもらったアメリカ旅行だと思います。
中学三年生の頃、アメリカに住む祖母の妹が来日し、私の家にも寄ってくれたことがありました。その時に、二週間ほどアメリカに来ないかと誘われていたのを、翌年の高校一年生の夏に母に頼んでかなえてもらったのです。
いくら知り合いがいるとはいえ、初めての一人での海外旅行でした。
宿はおばさんのところに寄せてもらい、移動もすべておばさんに車を運転してもらっていましたから、自分で一人だけで街を歩くことはありませんでした。それでも、現地にいる年下のはとこの学校に入らせてもらったり、近所にあった大学に行かせてもらったりと(アメリカの大学は誰でも入っていいらしい)いろいろなところに行きました。
日本では出会わない人、環境、出来事。
すべてに圧倒されたのを覚えています。考え方の差も、フレンドリーさも、なにもかも日本とは違いました。
中学校二年生ごろからいわゆる反抗期に入っていた私ですが、アメリカから帰国して以降、しばしば母に変わったねと言われるようになりました。当時の私には当然のように自覚はありませんでしたし、今でも理解できないことも多くありますが、おそらく気持ちが楽になったのはこのアメリカ旅行のおかげだと思っています。
よく、不登校の子に留学を勧めるという話を聞きますが、私自身の経験からしても、短期間でも、日本とは全く違う価値観を持つ環境に身を置いてみるというのは何かしらの転機につながるのではないだろうかと思います。
(続く)
海外で価値観が変わるというのはよくあることですね。この子はチャレンジして良かったですね。
最後までお読みいただき有難う御座いました。ではまたお会いいたしましょう。
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