こんにちは。
「不登校というピンチをチャンスに変える」不登校アドバイザーの早野です。
いやー、なかなか良い天気で気持ちが良いですね!!
そして秋ですね。秋の旅に出たい。
人間関係の知識
誠に残念ながら、基本的に人間関係はうまくいかないような仕組みになっています。
というのも、人間の判断基準には下記の特性があるからです。
①人間は誰もが判断基準(価値観)がバラバラで全然違う。
②そして、人間は誰もが自分の判断基準が無意識に正しいと思っている。
③だから、その判断基準をもとに相手を無意識にジャッジして傷つけたうえで「なんでわかってくれないんだ」と思っている。
判断基準は人それぞれバラバラです。価値観と言ってもいいかもしれません。
大雑把な人もいれば細かい人もいます(どちらが良い悪いはありません)。
学校に行かないことを非常に問題視する人もいればあまり気にしない人もいます(どちらが良い悪いはありません)。
プラモデルにいくらでもお金をかける人もいればそんなの馬鹿じゃないのという人もいます。
このように価値観が合わないので離婚もすれば子育てでの衝突もあり、職場での摩擦もあり、宗教戦争まであります。
本質的に俯瞰して眺めるとそれは相手が悪いのではなく、自分が悪いわけでもなく、そういう仕組みというか構造になっているわけです。
なので、相手がどれほど身勝手で理不尽に思えようと相手は自分が正しいと思っています。(そして大体の場合、相手にも同情すべき点があります。。。)
このことを知っておくと腹も立ちにくいのではないでしょうか?(一度、期待水準を落としましょう)
この世はみんながみんな、自分ルールで車を運転していてあちこちで衝突しまくっているのですね(涙)
判断基準はどうできるの???
その判断基準というか価値観というかその人独自のルールはどう出来るか???
遺伝子と環境によって作られます。
例えば、日本育ちとアメリカ育ちだと性格がまるで違います。
だから、帰国子女は大変だと思います。
無意識に正しいと思っていたことが新しい環境では否定されるわけですから。
学校に行きたくなくなる気持ちも少しわかります。。。
そこまでいかなくても、例えば早野家のルール(価値観)と鈴木家のルール(価値観)は全然違います。
だから、お互いに自分が正しいと無意識に思っているのでお互いにバカじゃないの?と思うはずです。
例えば、早野家ではお母さんから大雑把が男らしいとされているのです(笑)
細かいとお母さんから「何やってるの!!」と言われます。
そして、バイトをしたら細かい上司の下に入った日にはかなり傷つくことになります。
ちなみに早野家では貯金は悪ですし、人に負けることは許されません(笑)
もうわけがわかりませんね(笑)
人によっては家から出るのも億劫になるというものです(笑)
だって、構造的に傷つくようになっているわけですから。
家庭、学校、部活、職場、サークルの全てで。
そこで、心をガードしながら、時にはいろいろと諦めながら、傷つかないようにうまく立ち回り、なるべく人よりも有利な立場を築くのが「自立」と言われているものですね。
不登校で落ち込むのは人と違っていて、人よりも下のような気がするからですね。
判断基準=その人にとっての当たり前
判断基準というと難しく聞こえると思いますが、判断基準というのはその人にとっての「当たり前」です。
人にとっての当たり前は違いますので「無意識に自分が正しいと思って」人と人は衝突するわけです。
例えば、多くの場合におじいちゃんと不登校の子は「当たり前」が全然違うので衝突します。
家庭でも「当たり前」が違うから奥さんと旦那さんはぶつかるわけですね。(もしくは我慢するか、見て見ぬふりをするか)
なんせ、育った環境が全然違いますから。。。
当たり前すぎて相手が悪いとしか思えません。
子供はボコボコにされている
これまでのことをまとめると、人はそれぞれみんな「当たり前」が違います。
そして自分の価値観が正しいと思っていますから(当たり前だと思っていますから)この世では相手との衝突がたえません。
離婚、職場でのトラブル、会社間のトラブル、国と国とのトラブルなどなど。
そして、それを元に改めて冷静に子供の置かれた状況を見てみると学校では子供はボコボコにやられていますね(笑)
繊細で素直な子だと耐えられないと思います。
成績で評価され、スケジュールを管理され、様々な先生の価値観に従い、友達との諍いもあり、塾や習い事を強制され。。。
ADHDだったりすると目も当てられません。
価値観がバラバラだから規則があるのだが。。。
さて、それぞれの判断基準、価値観、当たり前があるので衝突がたえないというわけですが、それでもなんだかんだで社会が回っているのは規則や常識、アメとムチというものがあるからですね。
上から強制された規則(常識や世間体なども含む)や利益と罰をもとにお互いぶつかりながらも協調して暮らしているのですね。
問題はこれだけ豊かになるとアメやムチでは人間が動かなくなってきたことが1つ。
もう1つは規則が必ずしも人間個人個人の幸せを考えたものではないということですね。
例えば、校則や授業の時間割に果たしてどの程度の合理性があるでしょうか???
日本は幸福感が世界でもかなり低いですし、あまりやる気がでないのですね。
世界で戦争が絶えない理由でもあります。アメリカに都合の良いルールですからね。。。
上記は最近、トラブルが立て続けに起こった時に冷静に観察するとあらためて「こういうことか」というものです。
また、「なんでこの子はこんなに傷ついているのかしら???」というのを外から他の登場人物も含めて見ている感じを抽象化するとこういうことになります。
知識としては知っていたのですが、改めて直視するとかなりブルーになりますね。
私のこの文章もいろいろな方がそれぞれの「当たり前」でジャッジしているわけですね。有難い事です(涙)
でも救いなのは、会社で隣の席の○○さんとうまくいかないのも、家で姑さんとうまくいかないのもあなたが悪いわけでも相手が悪いわけでも無いということです。
次回は「じゃーどうすればいいわけ???」ということについて書いていきます。
では、またお会いしましょう。最後までお読み頂き有難うございました。
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