こんにちは。
「不登校というピンチをチャンスに変える」不登校アドバイザーの早野です。
最近、親御さんから大きな気づきのご連絡をいただき、この仕事をしていて良かったなと思いますし、そのお子さんはとても幸せだなと思います。
今日は私の父の思い出を語りたいと思います。
私は父を軽蔑していた
私の父は当時は最難関の中央大学の法学部を卒業し、弁護士になりたくて司法試験を受けるも合格せず、市役所に勤務しました。
私は小学生の頃は父から弁護士になれなかった話を聞き、平凡な生活を送っているように見えた父のようにはなりたくないなと思っていたのでした。
毎日、家と会社の往復で特に楽しみもあるようにも見えず、夢も諦めたようだし、情けないなと思っていたのです。
しかし、そんな私に父を尊敬する出来事が次々に起きます。
家庭内暴力の連鎖を断ち切った
私の父は祖父からものすごいスパルタで育てられたらしく、クラスで成績1位にならないと祖父から殴られたらしいのです。
時には柱に縛られて殴られたそうです。。。
祖父は旧日本軍人で満州にも行っていたのでそのくらい激しい人なのでした。
普通、そのように育った親は厳しく子供をしつけてしまうのですが、父は意識的に家庭内暴力の連鎖を断ち切ったのでした。
かなり勇気ある決断で根性が必要だったことだなと思います。正直、私には出来ないでしょう。
タバコをやめるとかダイエットをするとかの自制心の比ではありませんので。。。
子供を信じ続けた①
私は高校生の頃に不良の時期があり、万引きをしたことがあるのです。
本屋さんやビデオ屋さんにはとても申し訳ないことをしたと思います。
後年、経営に携わるようになり、利益を出す大変さをよくわかり、とても申し訳なく思っています。
さて、私は警察に捕まってしまいました。そして親が警察に呼ばれたわけですね。
私は全く反省しなかったのですが、家に帰り、父に「世の中が間違っているから万引きしたくらいで文句を言われるのはおかしい」と屁理屈を私はのたまったのでした。
自分でも正直なところ無茶苦茶な心にも無いことを言っていたのですが、父はじっと話を聞き、共感してくれたのです。
度肝を抜かれました。
この人は頭がおかしいのではないかと思いましたが、以後万引きをすることはなくなりましたし、父に好感を抱くようになりました。
子供を信じ続けた②
私は高校を目出度く中退したのですが、その時は父は自分の好きな道を歩めと言い、何も言いませんでした。。。
器が異常に大きいと言えるでしょう。そのため、私は高校を中退したことに関して劣等感を抱いたことは全くありません。
そして、高校中退後に何をしようかなと思い、私はいろいろ専門学校を探しました。
料理、コンピュータグラフィック、など20校くらい取り寄せました。
そして、まだしばらく働きたくないという理由で受験をすることにしたのです。
当初、私はこれからは宇宙の時代だと思い、東京大学の宇宙工学を志しました。偏差値20の時にです。
それを聞いた父は「そうか、それは楽しみだな」と何とのたまったのです。
この反応は普通ではないでしょう。。。
私は早々と代ゼミの東大模試の結果を見て諦めましたが。。。
(しかし、後年、大学の同じサークルの友達が東大の大学院の宇宙関係の学科に行き、俺でも出来たなと感じました。つまり、諦めなければ東大に行って宇宙に行くのも可能だったのでした!!工夫すれば不可能も可能になる!!人生は美しい!!)
また、私は慶応大学を受験したのですが、文学部の試験が難しすぎて途中で帰ってきてしまったのです。
さて、合格発表です。当然、私は合格しているとは思っていません。なんせ、途中で帰ってきてしまったので(笑)。
私が試験を途中で帰って合格していると思っていたら頭のおかしい可哀想な子でしょう。
しかし、父は合格を疑っていなかったのです!!私は呆れると同時に感動してしまいました。。。
(ちなみにビリギャルのさかやちゃんも慶應の文学部を受けたときに途中で寝たらしいです。俺意外にそういう奴がいるんだと不思議な感じがしました。。。また、慶應に受かり上智には落ちたらしいのですが、私も上智には落ちました。上智はたまに変化球を投げてくるんですよね。。。)
さて、私は早稲田には相性が良かったらしく、早稲田の政治経済、法学部、成蹊大学の特待生で合格したのですが、父から法科大学院が出来るので早稲田の法学部行ってくれと言われ、さすがに法学部に行きました。気質的には政経学部のほうが合っていたと思いますが。
ちなみに受験中にも私は父に英語で勝てませんでした。父は地方公務員で英語を使う仕事についているわけではなく、英語を趣味で勉強しているわけでもありません。なので、英語は忘れているはずなのです。しかし、受験のピーク中の私に英語力で勝つというのは努力の次元が半端ないのだと思い知りました。。。しかし、父はそれでいばるようなことはありませんでした。
子供を信じ続けた③
さて、社会人になり私は経営コンサルティング会社で働くようになりました。
そこは40歳までには全員起業をするという会社で30代、40代の卒業生には東証一部上場企業の社長もいれば、日本のネット通販でベスト5に入る会社の社長もいれば、日本の障害者福祉系で最も大きい会社の役員もいますし、テレビに取り上げられるような会社を作っている人も先輩にいます。
私はある程度修行した後に不登校支援で起業することにしました。起業するにあたり、私の周りはほぼ全員成功しているので私も成功すると疑いませんでした。
しかし、普通は「そんなんで食っていけるのか」とか「起業なんかして大丈夫か」とかなるのが普通だと思います。
しかし、父は起業資金をポンと出してくれたのでした。。。
私は自分が成功することも疑っていませんでしたし、自分が支援する家庭が成功することも疑っていませんでした。
しかし、自分以外の人間が信じてくれるとは思っていませんでした。コンサルティングの世界ではそれなりの実績がありましたが、それとこれは別だと普通は考えるはずだからです。
本気度を示すために貯金くらいしろよというのが本当だと思うのです。
父の夢を継ぐ
私の父の夢は弁護士になることでした。
しかし、弁護士や裁判官になって何がしたかったかというと、本当の夢は「正義を実現したかった」のです。
たしかに弁護士や裁判官は正義を実現する仕事です。
しかし、私は法学部で法律を学ぶ中で法律に失望していきました。
例えば、現在刑務所にいる人は障害者だったり、間違った教育を受けたために自暴自棄になり悪いことをしているような人です。
本当に悪い人は刑務所にいません(笑)。
ルールを決めて時には罰を与える、というやり方では正義を実現することは出来ないのです。
そうしたことは法律を研究するとたくさんありました。
現代で正義を実現するのは何か??
それが、心理学や教育、もしくはテクノロジー関連だと思っています。
男の子にとって父を超えるのが1つの目標です。
私は大体の領域では父に勝てないかもしれませんが、リスクを取って勝負していくことと、固定観念にとらわれずにより良いやり方を探すのは父よりも優れていると思います(長年の修行で)。
父の夢を実現していきたいと思います。そうやって人類は今まで進歩してきたのではないかと思うからです。
さて、昔は「学校に行け」と言われていましたが今では「結婚しろ」と言われます。早く結婚したいと思います(笑)
ビリギャルの母との共通点
「ダメ親と呼ばれても学年ビリの3人の子を信じてどん底家族を再生させた母の話」という本があります。
それを読むと辛い境遇に生まれながらも子供を信じ続けた親の話がのっています。
私の両親もそれに似ているなと思うのです。
子供から信じてもらうには先にこちらから信じることが必要なのかもしれませんね。
では、またお会いしましょう。
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