こんにちは。早野です。
しばらくご無沙汰しておりましたが、
今日もお読みいただきありがとうございます。
★自己分析を久しぶりにしてみました
久しぶりに自己分析をしてみようと、
自己分析のサイトを開いてやってみました。
そうすると嫌な思い出ばかりが
今回は出てきました。
年なのかなw
たとえば、小2の時にA先生が
B君が宿題をやってこない時に
机を叩きまくり、ランドセルの中身をぶちまけていたこと。
昭和ですねw
(厳密には平成の初期ですかね)
今思えば、B君はやたらと無気力で
現在だとなんらかの診断がついたのかもしれません。
(当時でもついたのか学校で見かけなくなりました)
また、A先生も不思議とヒステリックで現在だと休職になるのかなと。
こちらは確実に診断がつくでしょう。
私は優等生だったのでA先生に気に入られてましたが、
B君を叩いても「無意味だよな~」とは思っていた気がします。
そして成績でここまで態度を変えるものかと。
そんなに成績って大事なものか?と。

★私の世界観
また、高学年では音楽の先生が放課後の合唱会の練習にやたらと熱心で
真面目に歌わない男の子に指揮棒をなげつけたりしていました。
サッカー少年は早めに反抗期になるというような子も多く、
女の先生が指揮棒を投げつけたところで彼らが言うことを聞くわけもない。
物理的に勝ち目なし。
むしろ他の子の目などに当たったら先生の立場が危ない。
音楽の練習にやる気が無い子までつきあわせるのも
無理があるよなとは思っていた気がします。
化粧をし出した女子を生意気だとヒステリックに責める。
放課後の歌の練習の時間とは関係が無いでしょうに。
しかも歌がアヴェ・マリア。
「ア~ヴェ~♪ア~ヴェ~♪」
と歌っていても意味が分からないw
ちなみに「アヴェ・マリア」とは
カトリック教会における聖母マリアへの祈祷を指す言葉らしく、
今から考えると下手したら憲法違反ではないかとw
イスラム教徒の日本人がいたらどうするつもりかとw
というわけで、
私の小学生、中学生時代の世界観は
「世の中は頭がおかしい人ばっかりだな」というもの。
(今から分析するとですが)
成績が良いと褒められるのですが
あんたらに褒められてもあまりうれしくは無い。
そんな生意気な心境でした。
他には塾の先生は女子高に忍び込んで捕まっていたりとか。
無謀ですよねw
サッカーの友達は万引き合戦をしていたりとか。
ただ、先生もカーストが上の子を無視はできない。
そうなると学校では不良がエライのかなとw
後年、私は万引きなどをしたりしますが彼らから学んだんだなと
成育歴分析ができました。
私はフロル星人というあだ名がついたりして
「俺って変わっているのかなー」というのがなんとなくあったのですが、
冷静に考えると
むしろ「まともなほう」だったのではないかとw
セルフイメージが転換しましたね。
この年でw

★不登校と世の中への不信感
とはいえ、まーそのあたりが積み重なって
年齢が上がり学校に行かなくなった気もします。
あんたらに教わることはあんまり無いなとw
教科書に書いてあるし。
(今から行動を分析するとですが)
また、親や他の大人にも不信感がありました。
1つは親戚のおじさんが早死にしたこと。
国立大学の医学部を出た勤勉なおじさんでしたが
40代であの世に。
どう見てもがんばりすぎに見えました。
(もしかしたら努力やストレスと無関係かもですがそう見えた)
努力した末路があれで「ございますか」と。
大人の言うことを真に受けて頑張ったら危険でもあるので
頑張らなくなりますよね。
非合理に見えて意外に合理的ですよね。
また、私の母は私の言葉の発達が遅いのを心配したそうで
小学校入学前は夕飯後に勉強をさせられて
ヒステリックに怒られました。
なので、がんばっても自分は最下位だと思い込んでいたのですが、
入学すると意外に成績がよかった。
なので、母に対する信用は激減。
必死な割にノープランだったのかと‼
高学年くらいにはほぼ0に。
現実的な能力に関しての信用が無いだけで
嫌いなわけではなかったのですが。
私が好きなシェークスピアの名言で
「人は泣きながら生まれてくる。
アホな世の中に生まれてくるのが悲しくて」
というものがあります。
もちろん、先生や親が悪いというわけではありません。
みなさん一生懸命でしたし良い人でした。
私も頭がおかしい人の1人で
いろいろな失敗をしてきましたし
迷惑をいろいろなところでおかけもしてきました。
また、社会に出てからも同じように
頭おかしいなと思うことはよくありました。
取引先のおじいちゃん社長は優秀な業績なんですが、
何を言っているのかわからないw
社内には毎週末にはなぜか博多出張が入っている同僚もいました。
(もしや中州で遊んでいたのかw)
「宇都宮に飛ばすぞ」と怒鳴りつけてきた取引先もいました。
(優しいほう?宇都宮ってそんなに僻地かw?)
マスメディアレベルだと最近だと
サントリーの超エリートの偉い人が薬物疑惑で退任したり、
大物芸能人が薬物疑惑で急に姿を見せなくなったり、
と理解不能なことがたくさんあります。
産業界の不祥事でもフジテレビ、ジャニーズ、日産、東芝、オリンパス、ニデック、、、
私をふくめてみんな頭おかしいのかもしれませんw

★失敗だらけでもなんとか回っている世界のすごさ
思えば、私も含めて頭おかしい人ばかりでも
なんとか回っているのが
人間社会のすごいところでもあります。
たとえば100年前の日本とかだと
不作だと欠食児童が出たりとか
娘を売り飛ばした人が続出などの事例が教科書に出てきます。
世界史だとさらに悲惨。
たとえば、大航海時代の船員の〇亡率は半分をこえるので、
誰もなりたがらなかったと。
そこで酒場で飲んでいる若者にこっそり睡眠薬を飲ませたて
船に乗せたそうです。
で、その若者が目が覚めたら見渡す限り360度が海w
マンガみたいな悪夢ですよね。
そんな効率的なリクルーティング活動をされていたとか。
彼らは何年も地元には帰れず、
逃げ出した人が海賊になったのだそうで
無法者なんですがむしろかわいそう。
海賊の余命が3年だとか聞いたことがあります。
ワンピースの夢もぶち壊しの話ですが
今は良い世の中になったなーと。
★心理学の面白いところ
今の時代も昔よりは心理学も発達しています。
たとえば、学習理論では人の問題行動も良いとされる行動も
必ず学習されたものであるという理論があります。
何事も0からは生まれないと。
どんな人も日本語を0からは話さないわけで。
私の問題行動や問題発言(一応当時の)なども
どこからどう学習されたかがよくわかるというものです。
すばらしいお手本たちに囲まれていたわけですね。
なのに、問題だと言われたw
(本当にすばらしい面もあったわけですが今回は割愛)
で、今の時代は自分で選ぶことができるということ。
人は無意識にお手本を選んで生きているわけですが、
(普通はそれにすら気づかないで)
今の時代は生き方を自分で意識的に選べる。
自分を変えることができるわけです。
で、なるべく人の良いところを見て生きる。
無意識のうちに反抗して生きるのではなく
心の内で和解して生きるのが良い気がします。
なので、女子高に忍び込んで逮捕された先生のことも
心から幸運と幸福をお祈りしております。
冷静に考えればすごい行動力。
その情熱があればなんでも出来る気もしますね。
というわけで、
なんか世の中と私はより和解できた気がします。
世の中はむしろ少し頭がおかしいのが普通。
不祥事ランキングとかを見ても、
たとえば日本の自動車5社がデータを改ざんなどと出てきます。
「ほとんどの会社がやってたんかい」とw
海外も負けていなくFIFAの汚職とか
グッチやルイヴィトンが違法行為で制裁金を課されるなどのニュースが
目につきます。
リリーフランキーさんはこう言います。
「鬱は大人のたしなみですよ。
(子どもも)
それぐらいの感受性を持ってる人じゃないと
俺は友達になりたくない。
こんな腐った世の中では少々気が滅入らないと。
社会はおかしい、政治は腐ってる、
人間の信頼関係は崩壊してる、不安になる。
正常でいるほうが難しい」
また立花隆氏にこんな発言があります。
「子供時代から青年時代を通じて、
一度も自殺を考えたことがない人がいたら、
その人の成長過程には何か欠落があったといえるのではないか。
普通の人間が普通に育てば、
どこかの段階で死にたいと考える。
それはむしろ、
人間の健全な精神的成長の一階梯ではないか」
病んでいる人に対しては
「あんたはまともすぎたんかもね~」
という見方もありなのではないかと思いました。
また、新海誠監督作品で
いじめ問題で精神疾患になった教師がいて
「人間なんてみんなどっかちょっとずつおかしいんだから」
というセリフがあるそうです。
これにはアニメ好きで救われた人がけっこういたそうです。
自分だけがおかしいんじゃないんだって。
ではまたお会いいたしましょう。
最後までお読みいただきありがとうございました。
★自分のやりたいこと
と、終わりにしようと思ったのですが、
筆が進むのでもう少しいってみようかと。
中学時代ですがサッカーが上手な子が次々と不真面目になっていきました。
不良というやつですね。
で、スポーツに真面目な子は勢力が小さくなっていきます。
プロ野球選手になった西谷君などはかなり迫害されていました。
また、サッカーも勉強もできるという子も嫌われるようになりました。
私などは成績を落として調整しました。
(米の減反政策のようなもので需要に合わなかったのです)
が、渡邊君という子はそれをせずに悪口を言われていました。
空気が読めないやつだなとあわれに思ったものです。
とはいえ、私は内心では勉強もサッカーも面白くないというか、
不満でした。
親や先生の言うことを聞いても意味が無いですが、
(渡邊君や西谷君の姿を見ればわかるでしょうがそもそも見れないでしょう)
不良に染まっても悲惨なわけです。
不良は子ども社会では強いのですが、
じゃんけんのようなもので大人が本気を出すと勝てない。
少年院などに入れば弱いw
バイク事故で亡くなった子もいました。
で、高校生の時に大宮中央高校という通信制高校に私は転校したのですが、
転入試験で再開した不良たちはことごとく落ちたのです。
以前に先輩にキャバクラに連れていかれた時に
大宮中央高校出身の子と意気投合したことがありました。
キャバ嬢「あの学校ってバイクで廊下を走るとか普通だったよね」
私はなつかしさにうれしくなったものです。
で、話は戻りますが、
あそこに落ちたんかいなと。
不良の子は話している分には頭が悪いとは思えない。
環境なんでしょうね。
悪いことをする知恵を少しは回せば受かるでしょうに。
少年院の不良少年は知能が低いという本が話題になりましたが、
私が知る限りではそれは少数派ではないかと。
ケーキが切れないことは絶対にない。
ただ、彼らの一部には紙の勉強が苦手な学習障害的な子がいたのかもしれません。
しかし、全員がそうということは絶対にない‼
で、不良の子がこう言ったのです。
「いいな、高校生活ができて」と。
私は唖然としました。
「えっ、そうなの?」と。
言ってることとやってることが真逆じゃないかと。
まー私はすぐに行かなくなってしまったのですがw
また、ある時に不良の子が
「早稲田の女を紹介してくれない」と言ってきました。
彼はモテるイケメンの男なのですが
ひもになりそうだなと紹介はしませんでしたw
人間というものは悲しい存在かもしれません。
環境の奴隷とも言え、
やりたいようには生きれないのかも知れません。
小学校のA先生はヒステリックに振舞いたかったのでしょうか。
音楽の先生はやりたいようにやっているように見えましたが。
音楽の先生は迷惑ではありますが幸せだったかもと思ったりします。
ある時に不良の子がケンカでナイフを抜いてきました。
彼はヤ〇ザさんの子弟で負けるわけにはいかないのです。
なめられたら終わりというわけですね。
ちなみに戦国時代の山梨県ではケンカに負けたら〇刑という法律があったそうです。
大学時代に法律の歴史の授業で習いました。
となると、彼は自由意志でナイフを抜いたのでしょうか?
ある種の法則に従っているだけで
自由だとは言えないのではないでしょうか。
また暴力とかチキンレースでは上には上がいて
いずれ悲惨な目にあうことは明らかです。
となると、破局に向かう列車に乗っているだけとも言えます。
身体を張ってもこの程度。
逆にエリート金融マンなども似たような存在に見えますが。
日本の株価が5万円を超えましたが
よく見ると日銀が大企業のかなりで株主になっているという。
お金を刷れる人が株主になるとか反則ではないかとw
まー海外もかなりひどいとは思いますが。
考えてみると、
自由が全くないw
まー逆に普通の人でもそれは同じだったりする気がします。
しかし、今の時代は自由になることができます。
それは学問が発達して因果関係がいろいろと見えるようになったからでしょう。
とはいえ、人に押し付けることはしたくない。
小学校のA先生に小学生3年生ながらに
「先生、病院に行ったほうが良いですよ」
とはさすがに言いたくないw
不良の子に「勉強しようぜ」というのも違う気がします。
彼らには彼らの事情というか過去のなりゆきがあるわけですから。
(不良の中には土方から建設系で成功して大金持ちの人もいますし)
理解できるような大きな人間になって
楽しく環境から解き放たれて(もしくは自分自身の特質からも)
自由意志を発揮できるような世界線にいたいなと。
まだまだ道半ばですが
みなさまのおかげで探求できている気がします。
